MIND

「ほんとうのこと」

先日、私が高校生、大学生くらいの頃からずーっと好きな作家さんのトークイベントに行ってきました。

私は彼女の書くものが好きだけれど、お話される様子も好き。


初めて生で彼女が動き、話すのを見たのは大学生の頃だったと思いますが、話し方や言葉の発し方に強くあこがれ、影響を受けました。


具体的に彼女のどんなところに惹かれたかというと、一番は「ほんとうに思っていることしか口から発しない」というあり方です。



場を盛り上げるための発言(「別に心から思ってるわけじゃないけど、今これを言ったら盛り上がるだろう」という意図からの言葉)が一言もなく、
⁡ただ沈黙を埋めるためだけの言葉というものもない。


そのことが、私にはとても安心できて心地よかったのです。



私は滅多にテレビを見ないけれど、たとえばテレビの世界は
⁡「いまこの立場にいる自分はこんな発言を求められてるだろう」と空気を読みまくって、「ほんとうには思っていないこと」を喋る人だらけだな、と思います。


それは嘘と呼ぶほどのものでは全然ないし、「場を沸かせよう」という気遣いから発せられる言葉なのかもしれないけれど。

(でも、「思っていることを伝える」ではなく「場を沸かせる」が目的の芸人さんはともかく、他の人まで全員そうしなくていいんじゃない?と思ってしまう)



テレビだけじゃなく日常でも
⁡「この人いま本音じゃなくて『仕事用の話』してるな」
とか
「ただ沈黙を埋めるためだけにどうでもいい話してるな」
と思うことは、結構あります。よね?



そして私は、そういうあり方を採用していない人、つまりいつもその人にとっての「ほんとうのこと」を話してくれる人のことを個人的にすごくいいなあと思います。


「自分の口からパンくずを撒き散らさない」というあり方が、私には信頼できると感じるのです。
⁡(パンくずというのは「パンくず並みに意味のない言葉」という意味)


…そういえば大学を出てすぐの頃の、ものすごくさみしさを感じたできごとを思い出したので話を続けます。


それは、東大の同級生と集まった時に、みんなの話すことが一斉に「ほんとうのこと」から遠ざかった気がしたこと。


みんながいつの間にか、自分が就職した会社とか業界とかを背負った話し方をするようになったと感じたのです。


それぞれが「この立場にいる自分はこういうことを言うべきだろう」という役回りを演じるようになった、と感じました。

↑これってエリートにありがちなのかも?
そして全然エリート志向じゃない私は、ただまぬけのようにショックを受けました。


「『大人になること』と『ほんとうのことを話さなくなること』ってイコールなの?」とか思って、しみじみさみしかったのです。



でもやっぱり「大人になること」と「ほんとうのことを話さなくなること」は全然イコールじゃないよな〜って思います。
普通にそう思う。



現にいま私の周りにいる人たち(立派で魅力的な大人たち)は、ごく自然に、それぞれにとっての「ほんとうのこと」を大事にしている人ばかりだから。



…ふと思ったのだけど、いま私が日常で接する人たち(=京都に来て知り合った人たち)は誰も大きな会社や組織に属しておらず、自分で商売をしている人ばかりです。


組織や会社や肩書きに規定された鎧を何重にも身につける必要がなくて、
個人としてどうありたいかを優先させやすいからこそ、そのようなあり方を実現できているのかもしれません。

(京都って会社員ではなく、小規模であっても自分で何かをしている人が多いように思います)


「ほおーそういう人が多いから私、京都にいると居心地がいいのかも♡」なんて、
⁡京都が好きすぎて何を書いても「京都万歳☆」な方向に話が行きがちな私です。笑