私が大変なわがままで甘えんぼうであることは、その最たる被害者(笑♡)である、これまでの恋人全員うなずけることだと思います。
わがままで甘えんぼうと言っても、それはしばしば「可愛い」で許される範疇を超えていたよう。
相手方に求められるのは、さながら猛獣使い並みの技量だったり…笑
私のわがままはよく、「すぐに機嫌がわるくなる」という形で表れます。
すぐ不機嫌になり、そしてそんな姿を見せてはばからないのは、相手に精神的に甘えているからに他なりません。
でもそういう時の私はいつだって
「だっておなかが空いたんだもん!」「だって疲れたんだもん!」「だってあなたが気に入らないことを言ったんだもん!」
と、不機嫌になっても仕方ない理由があると思ってきました。

昨日もちょっとしたことで私はぶんむくれになったのですが、そんな時に彼が言ったのです、
「杏奈が不機嫌になることと〇〇は関係ないよ。〇〇は機嫌がわるくなる理由にならないよ」
と。
機嫌がわるくなるのは、その出来事のせいじゃなくて、「機嫌がわるくなる」という選択を自分がしているから。
(実際、「機嫌がわるくなる」という選択をしない彼は普段まったく不機嫌にならない。すごい!)
不機嫌とはあくまでそうなることを選んだ自分のせいであって、外部のなにかのせいにするのは、自分の手綱を外に委ねてしまっているということ…
そう考えると「気に入らないことがある」と「機嫌がわるくなる」はまったく別問題であって、
その概念(設定)は私にとって新しく、衝撃が走ったのでした。
なにか出来事が起きて、すぐに不機嫌になるのは動物的な「反応」。
出来事に瞬時に感情的にリアクションすることなく次の言葉や行動をつむぐのが「対応」。
なにか不愉快なことが起きた時、私たちには
「反応」するか「対応」するかという選択肢が与えられますが、
私が甘えている相手の前でよくやっていたのは、まさに前者の「反応」でした。
おなかが空いても獰猛なライオン笑のようにならずにいられる人と私の違いはなんなのか、なんて考えたこともなかったのです。
おなかが空いてる→機嫌わるくなっていい
思い通りにいかないことがある→機嫌わるくなっていい
気に入らないことを言われる→機嫌わるくなっていい
と思考停止して生きてきたから。
だから
「不機嫌になるのは自分のなかに別の火種がくすぶっているからだ」とか、
「不機嫌になるのは『〇〇が起きたら即不機嫌になっていい!』という設定で生きているからだ」
という可能性に思いが至らなかったのです。
私がぷいっとむくれるたび、
「どうして機嫌がわるくなるのか、ちゃんと考えて」
と根気強く優しく語りかけてくれる彼。
まだまだまだまだ、私には大人のレディーになる余地がありそうだと思ったのでした。。