「鳥の歌うが如くおのずから外に現れて他の人を幸せにするものが真の幸福である」
「機嫌がよいこと、丁寧なこと、親切なこと、寛大なこと、等々、幸福はつねに外に現れる」
これは三木清という戦前の哲学者の言葉なのですが、ほんとうの幸福というものの特徴を私たちに教えてくれる言葉だと思います。
真に心が満たされて平和で幸せな人は、それを声高にアピールせずとも、勝手に周囲によい何かをもたらすことになる、と。
これは逆もしかり。
心の状態がわるい時、人は不機嫌や不寛容や不親切やぞんざいさを周りに伝播させることもできます。
そしてそのよくないものを受け取ってしまった人たちが、またそれを他の人たちに伝染させていくかもしれない…
そう考えると、自分自身がそのマイナスの発信源にならないこと、つまり穏やかで平和でいることが、どんなに大事なことだろうかと思います。
機嫌がわるい時はその不機嫌の原因を、直近の出来事に求めてしまいがちです。
「私がイライラしてるのは時間がないのに待たされたからだ」とか「店員さんに同じことを何回も繰り返し説明させられたから」「道が混んでいてタクシーが進まないから」といったふうに。
(↑先日の私です…)
でも心が平和なら、このようなことでいちいち波立ったりはしません。
つまり不機嫌の真の原因は、目の前の出来事ではなく自分の心の状態次第ということ。
火種がなければ、着火はしないのだから。
私の場合その「火種」になりやすいのは、「朝の時間を有効に使えなかったイライラ」だとわかってきました。
朝の時間をどのように過ごせたかが、どうやら私のその日の機嫌に影響を及ぼすみたい、と。

寝坊したりダラダラしたせいで、今日という日からいつの間にか「午前」が消滅したことに気づくと、
取り返しのつかないほど損したような気分になったり、「このまま何もできないうちに今日が終わってしまう!」という焦りにかられたりするのです。
その火種を抱えたまま1日を過ごすと、
なんてことないようなことが着火剤となり、結果、その日接した人に不機嫌を伝播させることに。
最近の私のテーマはだから、「朝のうちにすべきことを何割くらい終えられれば、その日1日いい気分で過ごせるのか検証してみよう」です。
みずうみに落ちた小石がさざなみを広げるように、私という一人の人間の心がどんな状態であるかは、その日関わった全ての人に影響を及ぼすかもしれない。
そう思うと、自分が機嫌よくいること、幸せでいることに人は責任を持たなければならないように思います。