今日は6月30日、2020年の半分が終わろうとしています。
京都は朝からどしゃ降りといってよいほどの雨でした。
毎年6月の最終日は「夏越の祓(なごしのはらえ)」といって半年分のたまった穢れを清める風習がありますが、まさに街ごと厄や穢れを洗い流すかのような雨でした。
この茅の輪をくぐって身を清めます。お天気がよかった昨日、くぐっておきました。♡
さて、東京から京都に越してきて1ヶ月半が経ちました。
親戚や親しい知人などツテがあるわけでなく、閉じて暮らそうと思えばそうもできるのですが、すこしずつこちらの素敵な方達とのご縁もできてきました。
(その話はおいおいしていきたいと思います。^^)
そのなかで当然「どうして京都に来たの?」とよく尋ねられます。
結婚とか転勤といったわかりやすい理由を持たずに、ひとりでひょっこり京都にやって来た私なので…
「なぜ京都に?」と尋ねられた時の私の答えは「京都が好きだから、憧れていたから」です。
それ以上の何かを隠し持っているわけではないし、ほとんどの人は一応「そうなんだ」と受け入れてくれます。
でもまれに、そのシンプルな答えでは不満なのか、やたら「なぜ」を問うてくる人もいます。
つい先日そのような人に行き当たり、ああ、この「納得感」を求められる感じ、久々だなあと思ったりしたのでした。
ただ「好き」なだけじゃ足りないと、納得のいく理由を暗にほしがる人がいます。
たとえば仕事の事情とか、家族や恋人が京都にいるとか、私がもともと趣味でお茶やお花をやっていてその道を京都で深めたかったとか、そういう理由を。
自身の重みで大きくたわむ芍薬の花。毎日見飽きないです
問いに答えることと、相手を納得させることは別ものだなと思います。
私は「なぜ」の奥にある「納得できる理由をくれ」という要望に、自分があまり応えられていないとよく感じます。
「なぜ?」と興味を持ってもらえることはありがたく、またその問いに答えることで自分自身の理解が深まることもあります。
だから聞かれたらまじめに考えて答えるようにはしているのですが、答えても相手の「納得」にはつながらないこともあり、、そしてそれで別にいいとも思っています。
自分の行動や選択の理由を「なぜ」と問われる時の私の答えはごくシンプルで、「好きだから」とか「したかったから」です。
勿体ぶっているわけでなく、本当にただそれだけのことがほとんど。
私にとっては何をするにも「好き」だったらそれ以上の理由はいらないし、なんなら理由なんてなくいいとさえ思っています。
ただ心が「したい」と言うのだったらそれをすればいいと。
何にでも納得のいく理由を求める人は、その人自身なにをするにつけ他人を説得できる理由を用意しなくてはいけないのかな、だとしたら窮屈だろうな~とちょっと思ったりします。
「なぜあなたはそれをしているのか」
「なぜあなたはそれをすることを選んだのか」
納得するに足る理由を、ストーリーを求める人は多いです。
今回は「なぜ私が京都に来たのか」という話題で書いていますが、仕事でもそれ以外の取り組みでも、他人の「なぜ」を納得させることは日常の多くの場面で求められるように思います。
プロフィールも「こういう背景があるから、必然的にこの人はこんな活動をしているのね」と、読んだ人を納得させることが大事だと言われます。
話に整合性を持たせるために、ある点をピックアップして誇張し、一方である点には触れなかったりして、「プロフィール=ストーリー」を作る。
そうやって相手を納得させてあげることは、親切なのかもしれません。
ですが、何をするにも「他人から見て納得感があるか」「ストーリーに整合性があるか」を気にすることから、人はもっと自由になっていいのじゃないかな、と思うのです。
ただ好きであるとか、心がそれをしたいと言うことは、言葉で説明できないからこそ逆に尊いし大事にすべきもののような気がします。
「他人からこう思われたい」「他人に納得してほしい」という打算がないからです。
言葉では説明できないけれど、確信がある。
そのようなことには、自分というちっぽけな人間の語彙では説明できないなにかがひそんでいるのかもしれないからです。
「なぜ」と自分の選択や行動の理由を問われた時に、相手を説得することにこだわらなくなってからしばらく経ちますが、私はずい分と楽で、自由です。
自分の感覚がそれに対してyesと言うのなら、誰がなんと言おうと、堂々としていればいいのだと思います。
人が真に満たされるのは、他人の納得のいくストーリーに沿って生きた時ではなく、自分の心と行動とが一致している時だからです。
そんなわけで(?)、このサイトも私にとってそれを実現する場所にしようとあらためて思っています。
いったん消した700以上の記事には、SEO対策とか世の中のニーズを意識したものも含まれていて、なんだか重たく感じていたのです。
本来私が望んでいた場所、
かろやかに、時にたった一言になるかもしれないけれど、美しい世界からインスピレーションを受けたらそれを表現する場所にしたいと思います。✨✨✨